こんにちは、HMTの堀内です。
COVID-19の大流行を受けて世の中の様々な部分に影響が及んでいる昨今、健康に仕事ができるだけで幸せなのだなと実感しています。
HMTも出展予定だった学会・展示会が軒並み中止・延期となるなど少なからず影響を受けていますが、これまで以上に精力的に活動して参りますのでよろしくお願いいたします。
現在はウェブ面談を積極的に行っておりますので、ご希望の方はこちらからお申し込みください。
さて、HMTの社員としてCOVID-19研究の現状を追っていると当然気になってくるのが、「メタボローム解析を使っている研究・論文があるか?」という点です。
ウイルス感染によってどのような代謝の変動が起こるのか、重症化する患者を見極めるための「バイオマーカー」は存在するのか、などなど興味は尽きません。
しかし、研究にメタボローム解析を採用している論文数は少ないのが現状です。
これはCOVID-19研究に限った話ではなく、感染症の研究そのものに関しても言えることだと思います。
残念ながら、感染症の研究でメタボローム解析を実施する、というのは未だ標準的な流れになっていないように見受けられます。
その要因はいくつか考えられるかと思いますが、一つは、感染症が古くから研究対象とされており、長年の研究の積み重ねで既に有効性の高いワクチンが多く存在するなど、治療法・予防法が定まっている病気が多いという点ではないでしょうか。
それでもメタボローム解析でなくては明らかにできないこと、わからないことは多くあると思っています。
COVID-19研究でメタボローム解析を用いた論文も徐々に増えてきているように思いますので、今後の動向を注視していきたいです。
なお、感染症分野の研究でHMTのメタボローム解析がお手伝いできることについて、新たに特設ページをオープンいたしました。こちらも是非ご覧ください。
前置きが長くなりましたが、実は昨年、感染症研究の分野で嬉しい報せがありました。
HMTの測定結果が掲載された黄熱に関する論文が、Nature Medicine誌に発表されたのです(”Nature Medicine”は三大誌の一つNatureの姉妹誌で、インパクトファクターは30前後の超一流誌です)。
今回、その筆頭著者であるDuke-NUS Medical SchoolのChan Kuan Rong先生にメールでインタビューをすることが叶いました。
先生のご研究でのメタボローム解析活用例のほか、感染症研究におけるメタボローム解析活用の意義や将来性、若い研究者へのメッセージ等をお伺いしました。
※インタビューは英語で回答をいただき、HMTで和訳を行いました。
研究に携わっていない方にもわかりやすく内容をお伝えするため、一部表現を書き足した部分等がございます。
原文をお読みになりたい方はこちらのウェブサイト(HMTの感染症特設ページ英語版)をご参照ください。
本記事は黄熱やその他ウイルス性感染症についての学術的な知見を保証するものではありません。
情報収集には慎重を期しておりますが、詳細な情報をお探しの方は公的機関等の情報をご参照ください。
インタビュー読解のための基礎知識:
・黄熱について
英語では”yellow fever”と呼ばれ、病名は症状の中に黄疸が含まれていることに由来するそうです。
どこかで聞いたことがある……という方も多いのではないかと思いますが、現在の千円札に肖像が掲載されている野口英世先生が研究を行い、黄熱にかかって亡くなったことでも有名です(余談ですが、2024年からの新札では肖像が北里柴三郎先生に替わります)。
国立感染症研究所のページを参照すると、「黄熱はサル、ヒトおよび蚊を宿主とし、蚊によって媒介される疾患である。ヒトが感染すると致命率は高いが、回復すると終生免疫を残す。現在でもアフリカ、南米などで地域的流行が発生しており、旅行者が罹患することもある。」とあります。
原因となるのはフラビウイルス属のウイルスで、ヒト-ヒト感染は見られません。
感染しても無症状で済む場合もありますが、発症すると発熱や頭痛などインフルエンザに似た症状が出るほか、発症者の15%程度が重症化し、そのうち20-50%の患者が死亡するとされるとても危険な病気です。
ワクチンを接種することで予防が可能ですが、仮に罹患した場合には「特効薬」となるような薬が存在しないため、対症療法を行うしかありません。
参考・引用:
黄熱とは(国立感染症研究所)
https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/365-yellow-fever-intro.html
黄熱に関するQ&Aについて(厚生労働省)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000124615.html
Chan Kuan Rong先生は現在シンガポールのDuke-NUS Medical Schoolにて、Principal Research Scientistとしてご活躍されています。
Duke-NUS Medical Schoolの研究者ページはこちら
https://www.duke-nus.edu.sg/directory/detail/chan-kuan-rong
昨年発表された”Metabolic Perturbations and Cellular Stress Underpin Susceptibility to Symptomatic Live-Attenuated Yellow Fever Infection”においては、黄熱ウイルスのワクチンを接種した際に、「症状の出たヒト」と「症状の出なかったヒト」にどのような差があるのかについて着目されました。
用いたのは生ワクチン(毒性を弱めたウイルスをワクチンとして利用するもの)で、生ワクチンを接種する前後の血液についてトランスクリプトーム解析(※1)とメタボローム解析を行った結果、症状の出たヒトでは、通常の(接種前の)状態で小胞体ストレス(ERストレス、※2)が増加していることや、TCA回路(クエン酸回路、※3)の活性が低下していることが明らかになりました。
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※1 トランスクリプトーム解析
DNAからタンパク質が合成されるために必要なメッセンジャーRNA(mRNA)を網羅的に解析する技術。mRNAの合成過程は「転写」と呼ばれることから、”transcript”(転写物)と”-ome”を組み合わせて作られた造語。
※2 小胞体ストレス(ERストレス)
タンパク質が本来の機能を獲得するためには、細胞小器官の一つである小胞体(Endoplasmic Reticulum, ER)において適切な形に変化する(折り畳まれる)必要があります。タンパク質産生の要求量が増加した場合や折り畳みが適切に行われない場合などは小胞体に負荷=ストレスがかかることになり、このストレスを小胞体ストレスと呼びます。通常は小胞体ストレスを軽減する仕組みが存在しますが、その仕組みが破綻すると細胞死に至ります。
※3 TCA回路(クエン酸回路)
“TCA”は“tricarboxylic acid”の頭文字で、ミトコンドリア内で起こる反応の中心となるクエン酸などがカルボキシル基(-COOH)を3つ持った化合物であることに由来します。ブドウ糖(グルコース)を摂取すると、解糖系で代謝された後にTCA回路に入り、細胞のエネルギーであるATPを産生するのに重要なNADHなどの物質の産生を行います。
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Q1. 最近の論文(”Metabolic perturbations and …”)において、先生は小胞体ストレスの増加や代謝状態の変化が黄熱ワクチン接種に対して異なる結果を導くことを明らかにされました。この結果は、世界の感染症研究においてどのように寄与するのでしょうか?
フラビウイルス(※4)の感染は、無症状となることもあれば、自然治癒しかない(特効薬の存在しない)熱疾患となることもあります。また、疾患が発症した場合には、生命を脅かすような重篤な疾患に進行することもあります。
病気が発症する過程においてどのような分子機構が存在するのかを明らかにするため熱心な研究が行われていますが、現状では、黄熱の苦しみから解放されるような治療法は未だに認められていません。
それゆえ、今回の研究において我々は、黄熱ウイルス感染時にどのようなメカニズムで病状が出るのか、その分子的な要因を探索することを目指し、弱毒化された生ワクチンに着目しました。
二つの独立した臨床試験から、基底状態(ワクチン接種前)において見られる小胞体ストレスの増加や代謝の変動が病状の発症率増加と関連しており、逆の状態であれば逆の効果を持つ(小胞体ストレスが低下しており代謝が変動していない状態であれば発症率が低い)という知見を得ることができました。
これらの結果から、ヒトにおいてウイルス感染前に小胞体ストレス応答、あるいは免疫代謝プロファイル(immunometabolic profile)を調節することで病気の発症に介入することができるということと、フラビウイルス感染症に対する予防法開発のための洞察を与えることという、とてもエキサイティングな可能性が示唆されます。
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※4 フラビウイルス
プラス鎖RNAをゲノムとするエンベロープウイルスで、70種以上のウイルスが存在する。
黄熱ウイルスのほか、日本脳炎ウイルスやデングウイルスなどもフラビウイルスである。
参考:フラビウイルス
(石川 知弘, 小西 英二 ウイルス 2011年 61巻 2号 p.221-238 DOI https://doi.org/10.2222/jsv.61.221)
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Q2. 先生が今回の研究でHMTのメタボローム解析を利用されたのはなぜでしょう?
私達がトランスクリプトーム解析の結果を解析したところ、病気を発症したヒトにおいては、基本的な代謝、特にTCA回路の遺伝子発現量が低くなっていることがわかりました。
現在、HMTはCE-MS (※5)を用いた極性代謝物の分析と絶対濃度の報告が可能な唯一の会社であり、それこそが我々がHMTに分析を依頼した理由です。
加えて、私達はCE-MSの技術やサンプル準備、輸送、前処理やデータ解析といった手順をとても丁寧に説明してくれたHMTのサービスとスタッフを信頼していました。
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※5 キャピラリー電気泳動(Capillary Electrophoresis, CE)と質量分析計(Mass Spectrometer, MS)をつないだ装置を「CE-MS」と呼びます。詳しくはHMTのホームページをご覧ください。
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Q3. 先生は、感染症の分野でメタボローム解析が現在、あるいは今後どのように活用されていくとお考えですか?
ウイルスは、自身の複製に必要なATPや高分子の供給を宿主の細胞に頼っています(※6)。それゆえ、ウイルス感染はエネルギー的、代謝的なストレスを惹起するとともに、その結果として細胞死を導きます。
しかし近年、様々なウイルスが多様な戦略を用いて宿主の免疫システムによる探知を避け、細胞死を免れており、時にはウイルス自身と宿主細胞の増殖を手助けするために宿主の代謝を促進する、というようなことを支持する証拠が出てきています。
そのため、こうした事象に関連する分子メカニズムを明らかにすることが、ウイルス感染に対する画期的な治療法の開発につながる可能性を有していると私は信じています。
加えて、最近のCOVID-19の発生は高齢者、なかでも基礎疾患をもつ人々が重症化に至る危険性が高いということを示しています。
加齢は生体のエネルギー産生能やミトコンドリアの機能と密接な関係があることから、加齢がどのように代謝プロファイルやウイルス感染による病気の発症に影響を与えているのかについて、今後感心が増していくと予想しています。
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※6 ウイルス増殖の仕組み
ウイルスは遺伝情報をもつ核酸(DNAまたはRNA)をタンパク質の殻で包んだ構造をしていますが、ウイルス自身にタンパク質を産生する能力はなく、自己増殖はできません。ウイルスは宿主に感染した後、宿主細胞の機能を利用することで遺伝情報の複製やタンパク質の合成を行わせ、増殖します。
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Q4. 感染症研究を行う上で、メタボローム解析の長所や短所はどのような点にあるとお考えでしょうか?
メタボローム解析の長所は、転写物(mRNA)やタンパク質の撹乱によって生じる最終産物が代謝物質である点です。代謝物質は多くの疾患において、バイオマーカー(※7)として利用することに関し潜在的な魅力を持っています。
しかしその一方で、代謝経路(代謝パスウェイ、※8)は高度に入り組んでいますので、ある特定の代謝経路のみに影響を与えてその他の経路には影響が出ない、というような特異的な治療法を見極めることは難しいと考えられます。
現在のこの制約は、今後の研究で強力な基質特異性(※9)をもつ低分子を発見することによって回避できる可能性があると考えます。
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※7 バイオマーカー
特定の病状や生命体の状態の指標のこと。例えば「がん」を正確に診断するためには生検(患者の臓器を一部切除すること)などが必要となりますが、がんになったヒトの血液や唾液にはがん由来の「しるし」が含まれていることから、こうしたしるし=バイオマーカーを測定することで診断の一助とすることが可能です。
代謝物質に限らず、タンパク質や脳波、臓器の大きさなども「バイオマーカー」になりえます。
※8 代謝経路(代謝パスウェイ)
グルコースを分解してピルビン酸を産生する一連の経路を「解糖系」と呼ぶなど、複数の代謝物が代謝反応によってつながる一連の過程を「代謝経路」と呼びます。一方通行ではなく双方向であったり、回り道があったり、全く異なる経路から代謝物が供給されたり、特定の生物種にしか存在しない反応があったりと、実験結果を読み解くのにはなかなか骨が折れます。よく大都市圏の「路線図」と代謝経路図が似たような難解さであると言われます。
※9 基質特異性
化学反応の基になる物質を「基質」と呼びますが、ある基質と似た構造を持つ分子が存在する場合などに、薬剤がその両方に作用してしまう可能性があります。他に反応する物質が少ない場合にはある基質に対して特異的に反応する=基質特異性が高いと言うことができます。
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Q5. 先生のご研究は今後どのような展開となるでしょうか。また、可能であれば若手研究者へもコメントをいただけますでしょうか。
研究者や臨床医、産業界の方などとのコラボレーションを通して、免疫代謝がウイルス感染やワクチン接種の結果にどのような影響を及ぼしているか、更に検証したいと考えています。
研究は短距離走ではなく、マラソンです。そこにはたびたび成功と失敗のサイクルが存在しますから、失敗したときであってもポジティブでいることが重要となります。
そのために私が考える最良な方法は、研究者としてのキャリアの中で出会うあなたの同僚や同期、時には指導者とも交友関係をもつことです。あなたが落ち込んだときであっても、こうした人たちがモチベーションを維持し続ける助けとなってくれるでしょう。
一方で、もしあなたが成功したときには、助けを必要としている他の人を助けてあげましょう。
時間とともに、こうした繋がりはどのような時でもあなたの情熱を維持してくれるポジティブな関係へとなっていくことでしょう。
Chan Kuan Rong先生、インタビューを快くお引き受けいただき誠にありがとうございました。
(インタビュー:田中淳、Farehan Asgar / 和訳:堀内雄太)