今回は、東京大学総括プロジェクト機構 総括寄付講座「食と生命」で栄養と体の関係について研究をしておられる加藤久典先生にお話を伺いました。加藤先生の研究室には、2011年にHMTメタボロミクス研究助成を受賞された高橋祥子さん(コーヒー摂取による抗肥満・抗糖尿病効果の作用機序に関するメタボロミクスを用いた系統的検討)も所属していらっしゃいます。
―まず初めに、先生のご研究について簡単に説明していただけますか?
全般としては、食品、栄養とその機能性について研究しています。特に以前から長く続けているテーマはたんぱく質やアミノ酸の栄養についての研究です。例えば様々な食品の抗肥満、抗糖尿病といった機能性や炎症予防などの作用について調べています。
手法としては、十数年前からいわゆる”ニュートリゲノミクス”を始めました。最初はトランスクリプトミクスから始めて、だんだんとプロテオミクスもやるようになり、ここ5年くらいはメタボロミクスもやってきました。
タンパク質栄養が体の様々な組織にどういう影響を及ぼすかという研究や、コーヒーの抗肥満作用がどのようなメカニズムで行われているのかを調べた研究などでメタボロミクスを採り入れました。コーヒー以外にも、タマネギなどに多いケルセチンという成分が抗肥満・抗炎症作用を持っていたり、パセリやコリアンダーなどのスパイスが腸炎を改善することが分かって来ましたので、それらのメカニズム解析に使っています。
―食事というと一日食べたからと言っていきなり何かが変わるというものではないと思うのですが、そういったところでの難しさはありますか?
そうですね、薬のようにすぱっとターゲットに働きかけて大きく変わるというよりは、いろんな分子の働きをじわじわと変えて効くという印象のものが多いので、だからこそメタボロミクスのような網羅的な解析をしてみないと何が起きているのか分からないのだと思います。
―メタボロミクスを採り入れてよかった点を教えていただけますか?
トランスクリプトミクスやプロテオミクスでは、たんぱく質の量が変わったり遺伝子の発現が変わったりしたことが、最終的にどういう影響を及ぼしているかという点については、やはり間接的な情報しか本当は得られていない場合も多いと思います。一方でメタボロミクスは最終的な出口に近いので、とても説得力がありますね。
メタボロミクスのデータを、プロテオミクスやトランスクリプトミクスの結果と合わせて初めて、実はこんなことが起こってたんだっていうことが後から分かることもあります。
トランスクリプトミクスは今のところデータが非常に膨大で、全部一つ一つ見ていくのは実際には無理です。何百っていう遺伝子が有意に変動することも多々あります。そこで、メタボロミクスで動いていたところから、それに関係する遺伝子を見てみると、なるほどこういうことが起きてたんだと分かることが多いので、他のオミクスのデータをより活かすという意味で役に立っていますね。
―遺伝子は同じ生物で基本的には変わらないので、データベースなど情報のシェアができると思うのですが、メタボロミクスはデータや知識のシェアが難しいですよね。そのあたりで工夫されているところはありますか?
メタボロミクスはまだデータを共有するところまでは至っていないというのが正直なところです。
そこなんとかしないと、とは思っているんですが、ほんとにちょっとした実験条件の違いでどんどん変わってしまうし、例えばある時点で何かを食べたとして、それを食べてから何時間後にメタボロームを調べたかによっても結果は変わってくるので、時間栄養学な観点も必要で、厳密には摂取してから時間軸でずっと追っていってメタボロームを解析しないといけないですよね。もちろん長期間摂取する試験でも、食べ始めてからの経時変化を追いかけていく必要があると思うので、もっとメタボロミクスが手軽に、値段もそうですけど、簡単にできるようになるのが理想ですよね。
―食に関する研究をされるきっかけは何かあったのでしょうか?
高校生の時山登りが趣味で、一週間分の食事計画を立てたりしていたことから栄養に興味を持ったのが一番初めのきっかけになったのかなと思います。
その後大学に入って研究室を選ぶときに、人の健康に役立つことができればいいなと、栄養科学について研究している研究室に入ったんですけど、食べ物が人や動物の体にどんなふうに影響を及ぼすのか、調べていくのが非常におもしろかったんです。あとは夢中になって食べ物と体の関係を追っかけてきたっていう感じですね。
博士課程のとき、摂取するタンパク質によって影響を受けるホルモンについての研究をしていて、そこで初めて遺伝子を使った分子生物学的な解析を始めました。この研究が日本の栄養学で初めて遺伝子のクローニングをした研究だったのかもしれません。
その後もずっと遺伝子に関係した研究を続けていたところニュートリゲノミクスが興ってきました。私は大学生の時にプログラミングのバイトをしたりしてコンピュータが比較的得意で、大きなデータを扱うことに抵抗がありませんでした。そこでトランスクリプトミクスに取り組んでみようと思ったのがオミクス解析に関わったきっかけです。
―フードサイエンスにおいて、世界の中で日本はどのような位置づけなんでしょうか?
1980年代に日本が初めて機能性食品という言葉、あるいは概念を発信してトクホ(特定保健用食品)につながっていったことや、機能性食品などのメカニズム解析をする上で分子栄養学的な技術など分子生物学の部分に強みを持っていることから考えても、日本は機能性食品の研究をリードしていると言っても過言ではないと思います。
それに加えてもともと和食という健康的で世界に誇れる食文化を持っているという背景があり、食育や学校給食などで培った「健康的な食べ方」に対する国民の意識の高さもあいまって、日本は食の分野でお手本にされている面はありますね。
―今後どういった方向で研究なさっていく予定ですか?
ニュートリゲノミクスの発展に貢献していきたいと思っています。例えばこれまではニュートリゲノミクスのデータベースを作ったり、データ解析のツールを公開してきました。また、この研究室の特色としてマルチオミクスが挙げられますが、誰もが有効にマルチオミクスを使って研究を進められるようになるといいですね。データベースの公開もその一環ですが、その他にもこんな研究をするとこんなことが分かるんだということを公表していくことで、他の人もその技術を使って新しい研究をしたり、先行研究をベースに改善したりしてくれたりして、食品科学が発展していくといいなと思います。
もう一つ力を入れているのは、エピジェノミクスです。胎児期の栄養が悪いと大人になって生活習慣病になりやすいということが分かっているんですが、それがどういうメカニズムで起きているのかについて研究しています。
胎児期に栄養が悪いというのは、生まれた後も食べ物が足りない環境に置かれる可能性が高いわけですよね。そういった環境に備えるために体の中でプログラムされると一般的には考えられています。実際は生まれた後に食べ物が豊富にある環境に置かれることが多くなってきて、先進国だけでなく最近では発展途上国でも生活習慣病が増えて問題になっています。そこで、そのプログラムがどこでどうやって起きているのか、どの遺伝子のどういうDNAやヒストンの修飾で起きているのかを調べていく予定です。
―ありがとうございました。
(2014年7月 インタビュー・写真:井元淳)
インタビュイープロフィール
加藤 久典(カトウ ヒサノリ)
1984年 東京大学農学部農芸化学科 卒業
1988年 東京大学大学院農学系研究科農芸化学専攻博士課程中退
1988年 東京大学農学部 助手
1990年 農学博士(東京大学)
1991年 アメリカ合衆国NIH, 糖尿病部門 客員研究員
1993年 宇都宮大学農学部生物生産科学科動物生産科学科 助教授
1999年 東京大学大学院農学生命科学研究科 助教授
2006年 東京大学農学部食の研究センター 副センター長(兼任)
2009年 東京大学総括プロジェクト機構 総括寄付講座「食と生命」特任教授