鳥取大学医学部 三浦典正先生へのインタビュー、後篇です。前篇はこちら。
―先生のご研究へのモチベーションとなっているものは何ですか?
医師になろうと思ったきっかけは、ちょうど大学に入る前に「死よ驕るなかれ
」という本を読んだことです。未分化型脳腫瘍のお子さんの闘病記なんですけど、書いておられるのは父親で、アメリカ人のジャーナリストの方です。お子さんの闘いぶりを読んで、癌がこの上なく憎たらしくなりまして、医学部に進みました。
医者になる時もどういう道に進むかという段になったとき、第一志望は脳外科医でした。ですが脳外科では顕微鏡下で手術するじゃないですか、顕微鏡を覗き込みながら。あれが得意じゃなかったんですね。自分に向いてないことが分かって愕然としたんですけれど、それでもう脳は諦めて、担癌患者さんが一番多い内科に進みました。
私が入った内科は消化器と腎臓と血液と肝臓の、4つの科が統合された科でした。非常に多くの癌患者さんが闘っておられるところを診てきたので、基本的なモチベーションはそのまま、癌をやっつけたい、憎たらしいという気持ちを持って今までやってきています。目の前で多くの方が亡くなっているので、やっぱり普通ではいられない経験だったと思います。主治医は毎回悔しい思いをしています。モチベーションが薄れゆくことはなかったですね、私が接してきた癌研究に従事する方々は、多くがそうだと思います。
―今後どういった形で研究を進められていく予定でしょうか?
製剤化とメカニズムの解明を同時に進めていく予定です。
まず実際にmiR-520dが有効であるということを証明するために標的部位に届けられるようにしなければいけません。マイクロRNAは体の中に入れると30秒で消えてしまいますが、消えてもらっては困りますので、製剤化することになります。
マイクロRNAを格納して病変のある組織のところに運ぶための技術、DDS(ドラッグデリバリーシステム)は世界中で競争が起こっていますので今後どんどん開発されてくると思います。DDSキャリアの特性に合わせて、この疾患であればこのDDS、この癌であればこのDDSというふうに選択し、miR-520dを乗せて標的部位に持っていくようにしなければなりません。そのためにDDSを開発している研究者や企業と一緒に開発していく予定です。
また、miR-520dが癌を良性化する現象に関して、原因をはっきりさせるためメカニズム解明も続けます。メカニズム解明のために、発端のところでメタボローム解析を使わせていただきましたが、実はマイクロアレイをしても、一定の特徴は観察されましたが、そんなにはっきりした画期的な結果が出てなかったのです。遺伝子の傷から癌になると一般には言われていますが、結果が一番はっきり出たのはメタボローム解析だったので、本当に遺伝子の傷が原因なのか?という検証も含めて解明できればと考えています。
miR-520d以外にまだ手つかずのマイクロRNAもありますし、焦らずゆっくりやろうかな、という感じです。
―実用化は何年後を目指していらっしゃいますか?
去年からアテロコラーゲンというDDSを使って製剤化を進めています。アテロコラーゲンはすでに美容分野でヒトの皮下への注入が認められていて、今年はアテロコラーゲンを腹腔内もしくは血液内でも使えるよう申請します。とはいえ、その後大学の倫理審査委員の審査を受け、承認されると臨床試験をして実際に問題がない、毒性がない、免疫反応もないということを証明して、さらにその検証が終わった後にマイクロRNAを混ぜて実際に製剤化することになりますので、何年後と明確な期日を言うのはとっても難しいですね。ただ、目標としては3年か4年後です。
アテロコラーゲンの他にも共同研究者の方が色んなDDSを作っていますので、そちらも準備でき次第どんどん進めるつもりでいます。
―癌と言えば化学療法も放射線治療も副作用が強いイメージがありますが、マイクロRNAには副作用はあるのですか?
マイクロRNA自体に副作用はないです。全くないですね。早く消えてしまうのでないんじゃないかとか、免疫反応がちょっとあるとか言われるんですけど、それでも実際ほぼないですよね、ただの核酸ですから。肝硬変へのマイクロRNAを用いた臨床試験が本邦で行われているぐらいですし。DDS次第です。
―miR-520dが実用化されることで、癌の治療による患者さんへの負担がだいぶ変わるかもしれないですね。
本当にそうなれば良いと思います。
―ありがとうございました。
(2014年5月 インタビュー・写真:井元淳)
インタビュイープロフィール
三浦 典正(ミウラ ノリマサ)
1991年 鳥取大学医学部医学科 卒業
1996年 鳥取大学大学院医学系研究科生理系専攻博士後期課程 修了
1998年 テキサス大学サウスウェスタンメディカルセンター癌治療センター 研究員
2001年 鳥取大学医学部 臨床薬理学(現 薬物治療学)助手
2003年 同上 講師
2006年~ 鳥取大学医学部 病態解析医学講座 薬物治療学 助教授(現 准教授:名称変更)