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ABC's of Metabolomics

身長は遺伝しない?


こんにちは、バイオメディカルグループの篠田です。

背の大きなお父さん/お母さんから背の大きな子供が生まれる、というのはなんとなく日常感覚と合っている気もしますが、人間の背の高さを決める遺伝子というのは、未だに見つかっておらず、「missing heritability」(消えた遺伝率)と呼ばれるミステリーの1つです。背の高い人と背の低い人で明確に異なる遺伝子というのは、果たしてあるのでしょうか?

一方、P値が0.05以下だから差があった!(もしくはP値0.000001以下の疾患関連遺伝子変異を見つけた!)というロジックをよく見かけます。逆に「差が無い」と主張したいときはどうでしょうか? ここで問題となるのは、同じ差でも10人では非有意だが、1,000人集めれば有意になることがあることです。

つまり、有意でなかったのはN数が不足していたためかもしれず、P値が危険率以下だけでは差が無いとは言えない点です。よって、「無い」と主張したいときは、その研究が十分な検出力(=適当な大きさの差※を有意差だと正しく言える確率)を持つように、デザインされたことを確認した上で、有意差が出ない事を示す必要があります。しかし、一般的に差が無いより在った方が耳目を引くので、そういった研究発表は極めて少ないです(公表バイアス)。
(※)厳密に言うと偏差との比である効果量。以下同じ。

先ほどいとも簡単に「適当な大きさの差」と書きましたが、どんな大きさの差が適当かどうかは、研究目的によりまちまちです。新薬の効き具合で言えば、ある病気の罹患率をたった1%下げることが臨床的に重要であれば、1%が「適当な大きさ」になりますし、50%下げないと意味がないのであれば、それが「適当」であり、絶対的な基準は無いのです。基礎生物学においては、最後は「研究者がどんな大きさの差なら納得するのか?」という主観的な基準に頼ることになります。唯一確実に言えることは、1%の差を十分な検出力で扱う時に必要なN数は、50%の場合より莫大に多い、ということです。

ですので、大規模試験、と聞くとすごい研究のように思えますが、大規模なN数で比較しなければ差か出ないような効果の小さい差を検討するために,やむをえず大規模になっている、と言う理解が正解です。

穿った見方をすれば、何万人も相手にしている研究で差が見えた!と言っている論文は、「本質でない小さすぎる差を扱っているのでは?」「それって本当に意味のある差?」「真実は差が無いのでは?」と捉えることもできるでしょう。

本年10月14日号のNatureでは、合計18万3,727人(!)を扱った研究で、ヒトの身長の差異の10%を説明する遺伝子変異を発見したそうです。この変異群をどう考えるか?は、メタブローグの読者の皆様にお任せします。

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≪[meta func=”url” name=”pmid2_post” alt=”EBMジャーナル”]≫(PDFが開きます)

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メタボロ太郎なう

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