名古屋大学大学院医学系研究科で小児医療について研究をなさっている伊藤嘉規先生にお話を伺いました。
伊藤先生は主に小児科学、ウイルス学の分野で研究を続けていらっしゃいます。2010年にHMTメタボロミクス研究助成を受賞された鳥居ゆか先生も伊藤先生の研究室で研究されています。
―初めに、研究課題について簡単に説明していただけますか?
我々の研究室では主に基礎研究、臨床研究の二つの柱に沿って研究を行っています。
小児においてウイルス感染症はおそらく一番よく罹る病気ですが、ほとんどは自然に治癒したり、薬によって治る病気です。しかし中には治りにくい感染症も存在します。そういった感染症、特にウイルス感染症について、一つは早期に確実に診断できる手法を見出し、さらに臨床の現場で実際に使えるようにしたいと考えています。もう一つは、基礎研究として病気の仕組みを解明し、新しい治療につなげていきたいです。
なぜインフルエンザ脳症が起こるのか?
具体的には、例えばインフルエンザ脳症についての研究を行っています。インフルエンザ脳症という病気は、大人より小児が罹りやすく、日本では小児の急性脳症の中で一番割合が多い病気ですので、お聞きになったことのある方もいらっしゃると思います。
現在、脳炎・脳症になる子どもたちは、年度差はありますが、年間数百人から千人くらいです。そのうちの約4分の1がインフルエンザ脳症です。インフルエンザ脳症のメカニズムが分かれば小児医療に大きく役立ちますし、その結果、早期診断、早期治療を進められるようにできればと考えています
他にも母子感染するような病気や、免疫不全が引き起こす病気などに罹っていると感染症が起こりやすいので、そういった症例の研究に取り組んでいます。
―感染症についての研究を始めたきっかけは何ですか?
小児科医になって小児医療に携わっていると、やはり感染症のお子さんたちが多いので感染症について研究できるグループに入ろうと思いました。
研修医を終えて大学院に戻った頃がちょうどインフルエンザ脳症という病気が一つの病気として明らかになってきた頃でしたので、インフルエンザ脳症の研究を始めました。
子供のころにはインフルエンザ脳症って聞かれたことないんじゃないでしょうか?1990年代の後半にA香港型というインフルエンザウイルスが大流行して、その時に脳症になる子どもが多く、そのことが一つのきっかけとなって研究が始まりました。病気として確立してからまだ20年も経っていないんです。
当時は簡単なインフルエンザ検査キットもなかったので、脳症とインフルエンザを結び付けるのが難しかった。脳症の原因がインフルエンザだと分かってきた頃にちょうど我々の研究グループが脳症の研究を始めて、学位論文もインフルエンザ脳症がテーマでした。そのまま今に至ります。
インフルエンザ脳症が日本人に多いということが非常に不思議なんです。
最初は国際誌に論文を発表しても自国にはない病気のためか、なかなか信用してもらえませんでした。欧米では、インフルエンザに罹った後代謝障害が起こる病気と言えばライ症候群が一般的なので、同様の病態ではないかと判断され、一つの疾患と認めてもらうのに時間がかかりました。どうして一部の子たちだけが脳症になるのか、どうして日本に多いのかということも現在のところ解明されていないんです。
―小児科は大変なイメージがありますが、小児科を選んだ理由はなんですか?
専門を選ぶ理由は人によって様々ですけれども、私は本当にたまたまですね。でも、小児科は元気になって帰って行く患者さんが一番多いということが理由かもしれません。大変さの裏返しであったかもしれませんが、研修医として様々な診療科で経験を積んでいる中で、それがすごくいいなと思いました。
―現在のご研究にメタボロミクスを採り入れようと思ったきっかけはありますか?
日本では少ないのですが、世界的に見るとインフルエンザに関係した脳炎・脳症ではライ症候群という病気がよく知られており、代謝異常が関係していることがわかっています。そこでインフルエンザ脳症も代謝異常が関係しているのではないかと、代謝解析に興味を持ちました。
先天性の代謝異常がある子どもたちは、小さい頃に痙攣の発作などの神経医学的な症状が見つかってくることがあり、今では代謝異常が中枢神経系の症状を引き起こす原因の一つと考えられるようになっています。インフルエンザ脳症と代謝異常、特に脂肪酸代謝異常の研究は実際に進められています。
ターゲットを絞るのではなく、網羅的に調べられる方法を
我々は代謝の専門家ではないので、初めから特定の代謝経路にターゲットを絞るのではなく、網羅的に調べられる方法があれば何か手掛かりが得られるのではと考え、メタボロミクスを採り入れることにしました。
これまでゲノム解析やマイクロアレイといった手法を用いて研究を行っているグループは日本にもいくつかありますが、今のところまだ理由が分かっていません。そこで別の手法を試す必要を感じたということも理由の一つです。
インフルエンザ脳症への進展の原因はウイルスに対する生体反応
様々な病原体が、急性の脳障害を引き起こし、「急性脳炎・脳症」を発症します。脳炎と脳症は、主な病態が異なり、病原体が増えて症状を起こす場合を脳炎、病原体は増えずに免疫応答で炎症が起きるものが脳症です。前者の体表的なものが単純ヘルペス脳炎で、後者がインフルエンザ脳症です。
脳炎はウイルスが脳組織で増えて障害を起こすことが原因なので、抗ウイルス薬が効きます。また比較的大人に多いです。一方で脳症は感染症への免疫応答として起こった炎症の結果として組織障害が起こるもので、こちらは子供に多いです。
例えば、たまたま免疫応答が血管など脳の組織で起きると脳がむくんだ状態になり、症状を引き起こすと考えられています。つまり、ウイルスの増殖が直接病気を進展させていくわけではなく、病気の進展の原因はウイルスに対する生体反応なのです。この生体反応のメカニズム解明にメタボロミクスが使えないかと考えました。
脳炎や脳症は病状が急に進行する病気です。例えばインフルエンザだとまず高熱、その後に痙攣や意識状態の悪化が短時間続くことがありますが、それほど珍しい症状ではありません。しかし、その中でごく一部の子供たちだけが脳症・脳炎へと進行してしまうので、初期の段階で見極められるバイオマーカーがあれば治療に非常に役立ちます。
インフルエンザ脳症は抗ウイルス薬では進行を止めることはできないので、脳症への治療法で対処する必要があるのです。しかし、例えば意識がぼーっとしてきたり、あるいは痙攣がおさまった後、脳症へ進行していくかはなかなか判断がつかない。脳症のような重症になりやすいかどうかが簡単な検査で分かれば、診療の大きな助けになります。
―今後はどういうふうに研究をすすめられて行くご予定ですか?
メタボロミクスによってインフルエンザ脳症で意識障害や痙攣などの中枢神経障害につながるきっかけになる可能性のある代謝物質が見つかっています。そこでその物質がバイオマーカーとしてどれくらい使えそうか多くの症例で検討していきます。
また、先ほど脳症は免疫応答に伴う炎症だという話をしましたが、脳症の場合原因となるウイルスが変わっても免疫応答であるということは変わりません。つまり、同じような機序で起こる他の脳症にも同じバイオマーカーが応用できる可能性があります。
インフルエンザ脳症に次いで患者数が多いのは突発性発疹※を引き起こすヒトヘルペスウイルス6型(HHV-6)が原因の脳症で、これもまた脳症まで発展するのは日本で多いという共通点があるので、HHV-6が引き起こす脳症でも検証していきたいと考えています。
※1歳前後の乳幼児期に、高熱を出し、解熱後体中に発疹が出る疾患。HHV-6の初感染で起こり、熱性痙攣を伴いやすい。ほとんどの子供が罹患する。
―ありがとうございました。
(2013年7月 インタビュー・写真:井元淳)
インタビューイプロフィール
伊藤 嘉規(イトウ ヨシノリ)
1992年 名古屋大学医学部卒業
2000年 名古屋大学大学院医学系研究科博士課程(内科系小児科学)修了
2000~2003年 米国国立衛生研究所 Visiting Fellow
2003~2006年 愛知県がんセンター研究所 主任研究員
2006年~ 名古屋大学大学院医学系研究科小児科学(2010より講師)